道〜思い出〜
2005年1月24日今日は両親の結婚記念日であったので、父は出張だったのでメールで、母には学校の帰りにケーキを買って祝った。
今日は授業でまったく寝なかった。やったぁ!っていうか寝られる授業がないから当たり前・・・。
放課後は研究するために早く帰ることにして学校を出た。
ゲームセンターにもよったが、結局やったのはドラマニ一回だけ。そばかすのアドバンス版をクリアしたのでちょっと満足。
さて、あまりにも日記臭さがヤヴァイので、ちょっと考えたことを書いてみる。
タイトルの「道」というものだが、これは誰もが通る道のことである。また、普段何気なく同じように過ごす生活のことをさす。
さて、これが何かというと、この道というものは変わっていくものである。変わる前の道も変わった後の道も、そのときそのときさも当然のように通っていくものである。その道に出会ったときはいろいろと考えるだろうが、1年、2年と年月を重ねていくうちに次第にその道を通る際にその道から見える風景や発見は少なくなり、それに関して何かの考えを抱くようなことは減っていく。
たとえ道が変わっても、また年月を重ねればその道は自分の人生全ての時間をその道で過ごしたかのように通っていく。
先ほども言ったが、これは本当の道に限ったことではない。もちろん、日々の生活、心情でも表されるものである。
こんな歌がある。
ありふれた日々が輝いていく、ありふれた今が思い出に変わる
小田 和正「風の坂道」より
まさしく「道」である。こんな思い出に変わるような道であるが、思い出に変わる前は当然のように過ごす。
思い出に関して考えてみる。よく言われることがある。悪いことや良いことはよほど印象に残るものでないと忘れるものだと。つまり、ありふれたことほど思い出になりやすく、印象も強いものだと。
きっと今は15歳でも、今すでに2年8ヶ月を共にしたこの道を思い出に変えるときが来て、「あのころはああだったこうだった」といいながら老後を過ごして、その老後の思い出すら思い出に変えて死んでゆくのだろう。
人間は思い出作りのために生きるのかもしれない。
今日は授業でまったく寝なかった。やったぁ!っていうか寝られる授業がないから当たり前・・・。
放課後は研究するために早く帰ることにして学校を出た。
ゲームセンターにもよったが、結局やったのはドラマニ一回だけ。そばかすのアドバンス版をクリアしたのでちょっと満足。
さて、あまりにも日記臭さがヤヴァイので、ちょっと考えたことを書いてみる。
タイトルの「道」というものだが、これは誰もが通る道のことである。また、普段何気なく同じように過ごす生活のことをさす。
さて、これが何かというと、この道というものは変わっていくものである。変わる前の道も変わった後の道も、そのときそのときさも当然のように通っていくものである。その道に出会ったときはいろいろと考えるだろうが、1年、2年と年月を重ねていくうちに次第にその道を通る際にその道から見える風景や発見は少なくなり、それに関して何かの考えを抱くようなことは減っていく。
たとえ道が変わっても、また年月を重ねればその道は自分の人生全ての時間をその道で過ごしたかのように通っていく。
先ほども言ったが、これは本当の道に限ったことではない。もちろん、日々の生活、心情でも表されるものである。
こんな歌がある。
ありふれた日々が輝いていく、ありふれた今が思い出に変わる
小田 和正「風の坂道」より
まさしく「道」である。こんな思い出に変わるような道であるが、思い出に変わる前は当然のように過ごす。
思い出に関して考えてみる。よく言われることがある。悪いことや良いことはよほど印象に残るものでないと忘れるものだと。つまり、ありふれたことほど思い出になりやすく、印象も強いものだと。
きっと今は15歳でも、今すでに2年8ヶ月を共にしたこの道を思い出に変えるときが来て、「あのころはああだったこうだった」といいながら老後を過ごして、その老後の思い出すら思い出に変えて死んでゆくのだろう。
人間は思い出作りのために生きるのかもしれない。
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