入試休み1日目

2005年2月1日
とりあえず普通の日記いってみよー。
今日は入試休み1日目。昨日は珍しくもう眠くて何も出来ない状態だったので11時過ぎに就寝。今日起きたのは10時過ぎ。11時間以上の睡眠を取れた。わーいわーい。
なんか1時過ぎから外をうろうろうろうろしながらうろつく。いろいろ行ったがTSUTAYAでは今半額クーポンを提示すれば半額になるので思わず調子に乗ってアルバムを6枚借りた。それとHDDプレーヤーに入ってる曲数がついに1000曲を超えた。i-Podminiにしなかった意味をはじめて見出した気がする。
家に帰ってCDコピーして、チェス。今日はそんな感じに過ごした。

さて、なんかこの前の話題を続けなければと思うので、動物としてあるべき姿。の話をしようと思う。

そもそも人間の本能とは何か。むしろ人間に本能というものは存在するのか。いや動物である限り、本能というものは存在するはずであるが、しかし人間に本能というものを感じることは俺は少なくとも無い。あ、こいつ本能に準じて生きてやがる。と思ったことは一度も無い。この本能を邪魔しているものは、何か?この前書いたネタな気もするが、これは知性だと俺は考える。たしかに、前にも挙げた例から、サルも時には本能的でないところもあるかもしれない。しかし行動の基本理念、理念とは言えないが行動の動機は常に本能であると考える。しかし先ほども挙げたように人間の行動から本能を感じることはほとんど無い。動物としてあるべき姿、それは基本的に行動の動機を本能とするものである。
そしてさらに、その動物としてあるべき姿から外れた人間は、そのことから本能に準じて生きているほかの動物をさげすむように見る傾向もある。それは人間全員にあるとは言えないが、しかし本来そう考える人間は一人たりともいてはならないのだ。同じ動物。であることを人間は忘れている。しかし、人間達は自分達を崇高なるものとし、たとえば宗教というものによって神、という自分達よりも高い位置のものを作り上げることによって、その他の動物に対する扱いをごまかそうとしているように見えなくも無い。たしかに人間は高い知能を持ち、他の動物達には絶対にたどり着けない境地に至ったかもしれない。しかし、現実を見据えるべきである。高い知能を持っているからといって、決して優れているとは限らないわけだ。人間内ですらそうである。この現実から目をそむけようとする行為、そして自分達の慢心に浸るこの現代。自閉化が進んでいるのであると思う。
人間よ、動物らしくあれ。といったところで知性がある限り不可能なものと考える。まぁ、常にそういう意識を持っていることが大切である。それは知性は邪魔しないはずだから・・・。

コメント

お気に入り日記の更新

テーマ別日記一覧

この日記について

日記内を検索